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大学教育はどこにすすむのか
近年、入試制度が変更になっている。とくに英語科目については昔はなかったヒアリングが加わり、配点が2割から5割になる。英語の必要性が以前に増すのは理解できるが、いまは昔なかった翻訳ソフトもあり、ましてヒアリングとなれば、会話が必要な職種に限定されるし、国内市場をメインにする会社の事務系一般職希望者に必要か、必要でも社内仲間に一時的に手伝ってもらったり、派遣社員に担当してもらったり、、英語の読み書きはわかるが、ヒアリングはそこまで配分を高めるのがいいのか。必要性を感じたら、自主的に学べばいい。英語の苦手な有能学生がはたして不要か。英語よりまず日本語や日本教育の方が必要かと。歴史、法律、文化、道徳、経済など、日本のことを意外と知らない。例えば海外に旅行したとき、現地の人に日本のよいところをうまく説明できないし、知らないことを知らされる。やはりかたよった教育での影響をうけている。画一的な学校教育、企業教育で評価され、人とは異なる才能を伸ばしてこなかった。話を戻すが、英語ヒアリングができる人だけが、はたして有能なのか。職種も多岐にわたり、合格人材の片寄りなど、多様化社会には適応しているのか。グローバル化する大企業の予備校化が危惧される。自分が学生の頃は読み書き能力中心で、英会話が必要ならば自らが自主的に学習してきた。いまだに疑問がのこる。そもそも、試験で知識だけでなく思考、判断、表現力の才能がわかるのか、それを教えるのが大学ではないか。また運ではなく普段の基礎実力をはかるものようにも映る。社会に出れば運も実力のうちと言われたり、運がよく結果がでれば、素晴らしい経営戦略と誉められる。大学が真に就職予備校にはならないでほしいものである。加えて99%が中小企業であり、大半が日本語会話での活動であることも忘れないでもらいたい