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いずれ判明するような不祥事をどうして繰り返すのだろう
東北の復興事業関連工事で、業者選択のキーマンとして強力な立場を背景にゼネコン責任者が発注見返りキックバックで、多額の個人所得隠しが判明した。過去にも類似案件で何度も犯罪行為になることは十分承知しているはずなのに、犯罪はなぜなくならないのだろうか?大手企業であればコンプライアンスの教育などは受けているものの長年優位な立場にいれば悪の誘惑に知らず知らずのうちに染まっていくような社員は以前から存在した。もちろん個人の問題が大きいが、組織にもその土壌が存在しなかったといえるだろうか?新入社員の頃に備わっていた一般的な倫理観が次第に組織の色にいつのまにか染まらざるを得ないようになる。Noと言いずらくなることが多くなっていくように思うのだ。正義感をもって内部告発や提案をしてもかえって会社での立場を危うくするものが意外と多く、会社変革の困難さの一端がここにも存在する。つまり、会社のメンバーは同じ方向に進むことが基本的に業務命令に従事したのであり、異を唱えることは反乱や組織をかき乱すと理解されることがある。従来からチームワークで行ってきた日本の組織は個性をあまり歓迎しないものである。報酬形態など部分的には海外スタイルはなじんでも、「ノットアグリーバットコミットメント」の考えは拒否反応を示すのかもしれない。自己主張の強い者を組織内になかなか置けないものであることからも、近年はしがらみのない専門家などで構成する第三者委員会や社外取締役が登用されるのもうなづけよう。SNSが発達するなか企業倫理で第三階層、社会的な倫理や道徳を専門家というエリートだけではなく、一般感覚をもつアドバイザーが生まれても不思議ではない時代がくるかもしれない。最近、テレビでのコメンテーターに《裏表のない庶民感覚をもつタレント》の登用が多いような気がするのは自分だけだろうか